日本にはなぜ47都道府県ある?現在の形になった理由をわかりやすく解説

日本には47の都道府県があります。
ニュースでも天気予報でもスポーツでも当たり前のように使われますが、なぜ「47」なのでしょうか。

最初から47に分かれていたわけではありません。
いまの都道府県につながる仕組みができたのは明治時代で、その出発点では全国に302の県がありました。

そこから統合と分割をくりかえして、いまの形になっています。
どういう順番で47になったのか、資料をたどりながら見ていきます。

いまは1都1道2府43県

現在の日本には47の都道府県があります。
内訳は次のとおりです。

  • 1都:東京都
  • 1道:北海道
  • 2府:大阪府、京都府
  • 43県:残りすべて

合わせて47です。
名前は4種類ありますが、どれも日本を地域ごとに分けた地方公共団体という点では同じです。

では、この47という数はどうやって決まったのでしょうか。

江戸時代に「県」はなかった

いまのような都道府県の仕組みは、江戸時代にはありませんでした。
江戸幕府のもとに多くの「藩」があり、それぞれの大名が地域を治めていました。
薩摩藩、長州藩、土佐藩など、歴史の授業で聞いた名前も多いと思います。

ただし、藩の範囲がそのまま今の都道府県の範囲になったわけではありません。
藩は大名の領地なので、飛び地もあれば、ひとつの地域に複数の藩が入り組んでいる場所もありました。

1871年、廃藩置県でいきなり302県ができた

大きな転換点が、1871年(明治4年)7月14日に布告された「廃藩置県」です。
名前のとおり、藩を廃止して県を置く改革でした。

それまで藩を治めていた大名にかわって、政府が任命した知事などが各地域の行政を担当するようになります。

ただし、この時点でいきなり47になったわけではありません。
国立公文書館によると、廃藩置県の直後、全国は3府302県に分かれていました。
いまの47と比べると6倍以上です。

302という数は、藩をそのまま県に置きかえた結果です。区分を新しく作ったというより、まず名前と治める人を変えた、という段階でした。

その年のうちに、302県は72県まで減った

300以上の県がある状態では、行政を進めるうえで細かすぎます。
そのため統合が急いで進められました。

国立公文書館の資料では、同じ1871年のうちに3府72県まで整理されています。
県の数は1年たたずに4分の1以下になりました。

年府県の数
1871年(明治4年)7月3府302県
1871年(明治4年)のうちに3府72県
1876年(明治9年)3府35県
1888年(明治21年)3府43県
国立公文書館とレファレンス協同データベースの資料をもとに作成。北海道はこの数に入っていない。沖縄県が置かれるのは1879年なので、それより前の数には入っていない。

つまり今の都道府県は、「日本を47に分けよう」と最初に決めて作られたものではありません。
各地の府県を整理していった結果、47という数になりました。

減らしすぎて、また分かれた

表を見ると、県の数はまっすぐ減っていったわけではないことがわかります。
1876年(明治9年)にはいったん3府35県まで減りました。
ここが最も少ない時期です。

ところが、そこから8つ増えています。
統合された地域では、地理や産業のちがいから独立を求める声が上がり、いくつかの県が分かれ直しました。

1888年(明治21年)に3府43県となり、ここで改編の作業がいちおう終わります。
以後、県の数は変わっていません。
3府43県に北海道を合わせて47です。

北海道に「県」が3つあった時代

北海道は、いまでこそ1つの「道」ですが、ここも一本道ではありませんでした。

「北海道」という呼び名ができたのは1869年(明治2年)、廃藩置県より前です。
探検家の松浦武四郎が出した「北加伊道」などの案をもとに、古代の東海道や南海道といった区分にならって「北海道」と決められました。

その後、1882年から1886年までのあいだ、北海道には札幌県・函館県・根室県という3つの県がありました。
1886年1月にこの3県が廃止され、かわりに北海道庁が置かれます。

「北海道」という名前のほうが、県だった時期よりずっと長い。地図の上では大きく変わらないのに、中の呼び名は何度も変わっています。

沖縄県が加わるまで

沖縄県が置かれたのは1879年(明治12年)4月です。
琉球藩を廃止して沖縄県を設置しました。

第二次世界大戦のあとはアメリカの施政権下に置かれ、日本に復帰したのは1972年(昭和47年)5月15日です。

府県の数がそろったのは1888年ですが、いまの47都道府県が全部そろった形になるのは、この1972年からということになります。

「東京都」ができたのは1943年

1888年の時点では、東京はまだ「東京府」でした。
当時の言い方をすれば3府43県で、「1都」はまだありません。

東京都ができたのは1943年(昭和18年)7月1日です。
東京都制が実施され、東京市が廃止されて、東京府の範囲がそのまま東京都になりました。
戦争中の行政の一本化が背景にあります。

「1都1道2府43県」という言い方ができるようになるのは、この1943年より後です。
47という数のほうは、1888年から変わっていません。

なぜ東京は「都」、北海道は「道」なのか

47都道府県の一覧を見ると、名前が4種類あることに気づきます。
この違いは、それぞれが今の形になるまでの歴史のちがいから来ています。

国立国会図書館のレファレンス事例では、府と県は名前がちがうだけで権能に本質的な差はないと説明されています。
いっぽう都には特別区があり、道府県とは制度上ちがう部分が残っています。

「都・道・府・県は何がちがうのか」は、それだけで1本になる話です。
東京都・北海道・大阪府・京都府だけ名前がちがう理由でくわしく書いています。

47都道府県を並べると、地域のちがいが見えてくる

150年かけて整理されてきた47の区分ですが、その中身は地域によってずいぶんちがいます。
面積がいちばん大きい北海道といちばん小さい香川県では広さが大きく異なり、人の集まり方も産業も気候もそれぞれです。

同じ条件のデータを47都道府県で並べてみると、ふだんは気づかない差が見えてくることがあります。
たとえば人が多い県ほど持ち家は少ないのか、通勤が長い県ほど家賃は安いのか、住まいのデータで47都道府県を分類するとどうなるかといった見方です。

よくある疑問

47という数は、これから変わりますか

この記事の資料からは分かりません。
1888年に固まってから、府県の数は変わっていません。

市町村は合併で大きく減りましたが、都道府県は同じ数のままです。
道州制のように単位を組み替える議論はありますが、実現していません。

沖縄が復帰する前は、46都道府県だったのですか

国内の行政の単位としては、そう数えられる時期がありました。
沖縄はアメリカの施政権下にあったためです。

1972年5月15日に日本へ復帰し、そこからいまの47がそろいました。
47という数だけを見ると1888年から変わっていませんが、中身がそろうのはこの年です。

都道府県の順番は、何で決まっているのですか

統計や名簿では、北海道からはじまって沖縄県で終わる順番がよく使われます。
総務省が定めている全国地方公共団体コードの順です。

おおまかに北東から南西へたどる並びです。
廃藩置県のあと、府県を整理していった過程で付けられた番号が、いまも使われています。

藩がそのまま県になったのですか

廃藩置県の直後はそれに近い形でした。
3府302県という数は、藩の数を映したものです。

ただし藩には飛び地が多く、そのままでは行政が回りませんでした。
だから同じ年のうちに72県まで整理されています。
いまの県境は、この整理のあとに引かれたものです。

なぜ1888年で数が固まったのですか

この記事の資料からは、そこまでは分かりません。
分かるのは、1876年に3府35県まで減らしたあと、分離が起きて1888年に3府43県になり、以後は変わっていないということです。

減らしすぎたところから戻した結果、落ち着く形が見つかった、という見方はできます。
ただ、それを裏づけるにはこの数字の外にある資料が要ります。

まとめ

  • 日本の都道府県は、最初から47に決められていたわけではない
  • 1871年(明治4年)の廃藩置県の直後は3府302県。同じ年のうちに3府72県まで減った
  • 1876年には3府35県まで減り、そこからまた分かれて1888年に3府43県。ここで数が固まった
  • 北海道には1882年から1886年まで、札幌県・函館県・根室県の3県があった
  • 沖縄県は1879年に置かれ、1972年に日本へ復帰した
  • 東京都ができたのは1943年。「1都1道2府43県」と言えるのはそれ以降

出典

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